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山へ


母の父、つまり私たちのおじいちゃんはユーモアのある人だった。
野球とお酒と本と車が好きだった。
なんかひょうひょうとしていて、憎めない感じの人だった。
特にお酒はウィスキーが好きで
コーヒーはサイフォンでゆっくり濃い目に入れていた。

宮城県の気仙沼に生まれて東京で育ったらしい。
戦争で中国に行き、私には想像もできない過酷な状況から戻ってきた、
中国では寒いから強いお酒を飲んでいたらしく、
その中国のお酒チャンチュウにかけてお酒をチュウと言ってふざけていた。
戦争が終わって7・8年経って日本に引きあげてきた時
おじいちゃんは死んだと思われたいたらしい。
だからおばあちゃんの地元の広島でその後の人生を過ごした。
おじいちゃんには何かつかみどころのない感じがあって
一回死んだような気分というか、その中国の体験があるからではないかと思う。

その後
おばあちゃんといっしょに会社をつくってからは、
よく働き、二人でよく旅行していた。日本から海外から楽しかったと思う。
そして、まったくのゼロから何かを始めることは、どんなにか大変だろうと思うけど、そんな話は全然聞かなかったし
80歳を過ぎても会社に行っていたのだから、とにかく会社が好きだったのだと思う。

おばあちゃんが10年前に先に亡くなってから
おじいちゃんは一気に元気がなくなった。
おばあちゃんの方がどれほどだったかは分からないが、
おじいちゃんは相当おばあちゃんが好きだったと思う。
それで、己斐の山に行きたいと言い始めた。
己斐の山とはおばあちゃんの眠る国泰寺をさしている。
後半は入退院を繰り返していたけど、
痛いとか苦しいとか寒いとか、そういうことは一切言わなかった。
寝るより楽はなかりけりと言って笑わせてくれた。
また、しんどそうに見えた一ヶ月くらい前に
苦しくないのかと聞いたら、こんなもんだろうと答えた。
いつもみんなが元気だったらそれでいいと言って
おじいちゃんの口から嫌な言葉を聞くことは一度もなかった。

それが朝方急変して駆けつけた時は、もう心臓マッサージをしていた。
母と私はその十何時間前に会いに行って
その時はこんなことになるとは全く予想だにしていなかった。
でもそれが現実で
やっぱり管とか刺さってるときには苦しい顔をしてたのだが
その途端すうっと引くように安らかな顔になった。
なんか微笑んでいるくらいに見えた。

待合室に待っていると
壁に掛けた大型画面のテレビが無音で
デンマークと日本のサッカーの試合をしていた。
それで勝ってると知った。

試合も終わり、朝が始まって
そこからは一気に事務的な状況が進んでいった。
おじいちゃんは華やかなことが好きだったから
そんなお葬式にしてあげたいと思ったけど
そういうことは大人が進めるので、どうすることもできないが
お寺は母の意向をくみ取ってくれたのが、何よりだった。
3人の導師様がお経をあげて、銅鑼や太鼓の音が鳴り響くのを聞くと
おじいちゃんは大丈夫だ、とほっとした。

とにかく
おじいちゃんは91歳だった、だからそれは大往生らしい。
よく働いて、お酒を嗜み、よく遊び、幸せだったと思う。
死に方まで本当に潔いと思う。
けれど、私たちには心の準備も何もないのにすべてが終わってしまった感じがして、なんかあっけない気がした。
おばあちゃんが死んでおじいちゃんまでいなくなると
私の大好きな大人が皆いなくなってしまったようで、本当に寂しい。



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